子供企画版 シャーロック・ホームズの冒険

第2話
『踊る人形』THE DANCING MEN

〜アイデンティティー恢復のモチーフ〜

 

 ホームズ、まだ注射器持ってますよ〜。正直ね、探偵の七つ道具っぽく違和感が無い状態です。

 さすがにあぶったり刺したりって映像はないけどさ、ちょっと展開に煮詰まった時なんかに引き出しの中の注射器を撫でてます。が、そんなダメダメな彼も「事件」に救われていくわけ。代わりにやってくる今回の「麻薬」は「暗号」です。やっぱ、こいつ病気だと思うね。

 本筋となる事件を持ってくる依頼主に対してもひどく冷たく振る舞います。冷静に見ていると、性格は最悪。たとえば一通り依頼主の話を聞いて、

ホームズ 「その、幸福なる日々に初めて影が差したのはいつのことですか」

依頼人   ( ゜Д゜)ポカーン

 自分の推理が乗ってきたらドアを開けて帰宅を促すし。
 NHK版ではカットされているシーンですが、帰宅後は暗号に夢中です。もうね、すごい夢中なんだよ。

ホームズ 「仕事中は静粛に願うよ」(ワトスンに)
ホームズ 「but any more messages and preferbly long one(もっとたくさん、長い暗号があったらなぁ〜★)」
 暗号におびえている依頼主の心情を完全無視。ワトスンも僕もあきれ顔です。グラナダ版ではかなり鮮明にムカつきます。ただ、このホームズの異様な"嗜好"については、おそらく2つの線で合理的な説明ができると思うんだな。

 1つは、作品中でもホームズの口から言われていますが、「(依頼人は)同情を求めていない」ということ。ワトスンは同情しきりですけれども、情で事件は解決しない。これはワトスンもそして依頼人さえも、ホームズの暗号キチぶり・不敬ぶりに圧倒されて忘れてしまっています。暗号を解決することがまずはとても大事なはず。不敬を挟む余地の有る無しというのはホームズの度量になりますが、「そんなことよりも暗号に集中して行くことが重要だ」というメッセージとして見ることが出来るわけです。これはかなり説得力がありますよね。けど、これだけだと薄っぺらいな。
 2つ目の線ですが、ホームズは、依頼人の幸福なんてものをどうでもいいと考えている節がある(これは僕の観る所、ですが)。彼にとって重要なことは、依頼人の幸福でもなければ、極端に言えば、解決ですらない。思うにホームズは、「事件」と「解決」とを結ぶ「推理=自分」を求めている。そこにこそ自分が生きる時間を発見しつつある。だから、彼にとって貴重なのは、「事件がもたらす謎だけ」となるわけ。
 その証拠に、と言うには"おそまつ"ですが、このシリーズが進行するにつれてコカインが出てくるシーンが減り、代用とも言えるタバコや、ご存知「パイプ」が増えていくんです。ホームズが生きる時間を取り戻していく<物証>としての「パイプ」は、単なるトレードマークとしてではなく、彼のアイデンティティーにまで届く秀逸なモチーフとは言えないでしょうか。

 

 ところで、この回では、推理小説の書き方として定石である考えが紹介されています。

ホームズ「一見無関係な出来事を推理でつなぎ合わせていく、そうするとある結論に達する。そこまではそう難しくない。しかしその結論に至るまでの理論を省いていきなり今みたいに結論だけ言うと、効果がある。もっともこれは、単なるこけおどしだがね」

 グラナダ版では、クライマックスに向けて説得力ある伏線になっています。一方、NHK版ではですね、絶対狙ってないと思いますけれども、あろうことか証言の一部をカットしてるんです。これって単に尺の問題なのか、さらなる「こけおどし」に挑戦したのか。

 僕は「こけおどしなら可」と感じますね。事件解決がドラマチックになるだけの、要は見せ方の問題なので。
 子供企画版では、<完全版で演出したかったであろうホームズ>を、抉(えぐ)りたいだけ抉って参ります。こけおどしは無し。いや、こけおどせる技量が無いから、ですけれど。


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