子供企画版 シャーロック・ホームズの冒険 第3話 〜封印された脇役の鑑〜
この「子供企画版 シャーロックホームズの冒険」では、今のところグラナダ版を完全版とし、カットされたNHK版との比較で好き勝手なこと言っているわけですけれども、カットの真意というのは、編集した人(もしくは日本語吹き替え用の脚本家)に確認しない限りわからないわけです。単純に尺(放映時間)の問題だったのか、日本の社会倫理的に、テレビ的にマズいということだったのか、それとも他の要因だったのかは定かではないわけね。 ただ僕は、「いずれにせよカットした理由はあるはずだ」という立場をとり、さらに恣意的に「尺の問題である」という理由を避けて論じています。というのは(NHKがカットせざるを得なかった最大の要因はおそらく「尺」に決まってるんですが)、「これこれの時間を削らなければならなかった際に、何が削られるべきと判断されたのか」を観ていくと面白いからなんです。 ってことになるとスゴイ数の苦情が来ると思うんで(来ねーよ)、ちゃんとやりますね。 逆にNHKではその辺が非常に曖昧。まぁ、長門裕之のアホっぽい声のおかげで相当に抜けた感じに仕上がっていますが、それは一見してわかる「アホっぽさ」に過ぎない。それって本質的な対照にはならないわけで、構成としては雲泥です。NHKではワトスンが比較的使える友人として描かれている。 ワトスンは、<一般人>として、ホームズの横にいます。『読者』にしてみれば、1番近い思考の持ち主ですよね。ただ、それは措(お)いときましょう。つまり、「僕ら(読者や視聴者)にとって、ワトスンがいると気楽だな★」ってレベルではなく、「人間ホームズは、なんでコイツをお供にしてんのか」、という風に焦点をあてて話を進めます。
ホームズ「(依頼人に)このバラの何と美しいことか。これは何の推理も必要としない。宗教もそうです。これは神が造りたもうた精確な科学です。神が存在しているという最高の保証は、この花にこそ見られるのです。美しいものを我々に与えられるのは神。したがって我らは、花に希望をたくして生きているのです。(中略)私は花に、すなわち神に、もっともっと期待してもいいと思っているんです。しかし僕は、神ではない。」
真実(神)は善いもの(=この事件の真相は楽観出来るもの)だろう、というホームズなりの見通しでしょうが、一般人には理解の出来ない唐突すぎる展開です。僕、この場面がどうして入ってるのかちょっとわからなかった。非常に高尚な内容ですが、周囲の人間には意味がわからないどころか、特に「花」の節は意味が無いとさえ言っていい。さらに、とても重要なことだと思うのですが、ワトスンも理解出来ていません。
ホームズ「君には本業がある。だが明日も同行してくれると助かる。」
いや、助からないから、全然。記録もしてないし、話はズレてるし。ちょっと看病はするけど、それはむしろ「本業」でしょ? この台詞の意図とはズレている。このホームズが求めているのは何だろうか。どうしてコイツは1人で探偵をやらないのか。 これは少し深読みしすぎですが、見えすぎる人間の欠点とは、見えない人間に何が見えないのかがわからないということです。ワトスンはホームズの欠点を補え、しかも善良な、まさに脇役の鑑。そしてより重要なことは、ワトスンがいる限り、ホームズは欠点のある「人間」であり続けているんです。 ヤク中の横にいるドクターってのは、そういう意味では非常に象徴的なモチーフだと思いますね。 さて、こういう風に僕は考えるので、本質的にはワトスンが"引き立て役"になるわけがないと思っています。ここまで来て、僕なりにですが、初めて「花」のくだりが理解できてきました。「花」の説明の最後は、こう結ばれていた。 そしてワトスンはこれを真の意味で理解しないし、理解しないからこそ"コンビ"への道が開けていくわけです。 【今日の追記1】 1)ワトスンがバカ(:今日書いた内容と同じ) |
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