子供企画版 シャーロック・ホームズの冒険 第5話 『まがった男』 THE CROOKED MAN 「名作」と記憶していた本作、『曲がった男』。僕が幼い頃の本の邦題はたしか、『せむし男』でした。「せむし」とは、脊髄が後湾(背中全体が弓状に湾曲)した状態の人を指す呼び名で、差別用語なんで、配慮がなされているわけですね。 差別用語について前回指摘したカット部分は、<現在から見ると差別的である振る舞い>や<かなり微妙な語>についてだったんですが、僕は、「まさにそういった<差別文化>をこそ描いているわけだし、語としても特に問題は無いんだからカットすべきではなかった」と判断しました。 ただ、今回の「せむし」のように、現在明らかに「差別語」として規定され、規制が約束事になっている場合に、使用の是非はどう考えるべきか。これは難しいところだと思います。ただ、「作品として必要かどうか考え、判断すること」が基準になるべきだと考えるわけですよ。 この作品、僕が見るに「せむしであること」(また「せむしと見られること」)は、作品として本質的ではない。つまり、<その人がせむしであること>を書きたかったわけではない。「ちょっと異形だよ★」ということがわかればいい程度なんですね。したがって僕はタイトルを『まがった男』にした判断は適切だったと思います。まあ、"響き"は微妙ですがね。 つまり、仮に差別語であったとしても、極端な話、作品に必要不可欠なモノであるならばカットすべきでない、というか出来ないだろうということです。逆にですね、傑作だから何でもオッケーっていうのは軽率だと思いますね。配慮無く差別語を並べていると「この白痴野郎!」って怒られますよ。
さて、ちょっと重い話題からでしたが、今回のホームズ冒頭から憂鬱症に陥っています。はい笑うとこですよー。ワトスンの診断ね。で、依頼人の所に行くんですが、名探偵はいきなりキレる。そろそろ苦笑です。こういった「ダメホームズ」は全部カットされてるのでずいぶん長いカットシーンになるんですが、最終的に Holmes "Please tell me the facts!!"(さっさと話せコノヤロウ!) Watson :黙想&ため息 ここまで丸々カットですね。紳士的でない印象なんでしょうか。この後、依頼人は醜聞を嫌いながらも話し始めたため、ホームズは子供のような嬉しそうな顔に豹変致します。この人、絶対に紳士じゃない。そう確信するね。 カットシーンには会話にかぶせて回想シーンが映されています。で、これも切られると事件の本線となる過去の出来事や伏線となる若い頃のエピソードがわからないわけね。そこでNHK版では長門裕之のお茶目な印象のナレーションが大活躍します。ほのぼのする声以外に問題は無いですけど、グラナダ版は感情移入から引く場面が無い分、入り込みやすいすね。比較的。蛇足なんだけども、男が「せむし」になる理由がカットされてんですが、これがカットされるとなんで曲がってるのかがわかんないと思うんですよね。面白いモチーフだと思うし、かなり合理的な理由があるので、リアリティが無くなるという意味でもったいないな〜と感じました。
最後に、誰が見ても納得する「見所」を紹介しておきましょう。本作では推理らしい推理は無く……ホームズ、憂鬱症だしね……独白がメインになる独特の展開なんですね。悲壮で重い、一生分の独白です。これをノーマン・ジョーンズという役者が好演しています。見事ですね。僕、この俳優よく知らないですけど素晴らしい仕事をされてます。 せむしだけど死んでない両目。かっこいいですよ。わかりやすく言うと『椿三十郎』に出演していた頃の仲代達矢が物乞いしてるという状態です。わかんないか。でも必見です。夢中で観れますね。おかげでレビューが短くなっちゃいましたけども。 |
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