子供企画版 シャーロック・ホームズの冒険
第9話 『ギリシャ語通訳』
THE GREEK INTERPRETER
〜推理とゲスト 前編〜
前回の原稿の時点で分量的には起承転結の起が終わったって感じですけども、正直勉強不足を補いながらだと全くノルマに追いつかないし、いや、全然謙遜じゃないっすよ!(←誰も言ってない) それにね、このDVDは知人から借りてるもんで返却期限があるんで、とにかく先に進んでみようと。遅々としてらんないんだと。てことで、あと十年もして自分でこのDVDを「大人買い」できるお年頃になったらじっくり勉強しながら書き直す算段でおります。ま、今書ける分は今しか書けないんだと変な気負い抜きで書いてますけどね。
ホームズ「僕は謙遜は美徳とは思わない。論理家はありのままに見る。過小評価も、買いかぶりも真実から外れる。」
うん。ショボイ今のままで書いてみますってば。(泣きながら)
今回の『ギリシャ語通訳』、かなり哲学のニオイがしますけども、本筋のギリシャ人はボコられるだけであんま哲学っぽくない。ま、かなりひねくれて見て、そのボコられてる状況が「哲学」の隠喩と言えなくもないかもしれませんが、僕は言ってませんよそんなこと。
この回はグラナダ・シリーズでの「ゲスト出演」初回に当たります。で、出てくるのはシャーロックの兄、マイクロフト・ホームズ。シャーロック曰く、「僕よりはるかに優れた観察力の持ち主」。字面通りだったら怖い。で、彼が所属してるのがディオゲネス・クラブと言います。哲学科出身の方ならたぶん笑うとこです。かなり笑いのツボが狭いですねー。それと、こんなとこで笑ってるとよその人から変な目で見られますねー。総じてそういったことが哲学科出身者の宿命であります。
一応、紹介しますか、ディオゲネス。この位なら大丈夫です。はいそこー寝ないでくださいねー。
一般には犬儒派と呼ばれてて、めちゃくちゃな伝説が異様に多い変人です。たとえば道ばたで「お金がかかんなくて気持ちいいから」という理由でおチンチンをいじってた、などというとんでもない逸話が残っています。確かに理屈はそうですが、捕まるのでやめたほうがいいと思います。
他に有名なのはアレキサンダー大王が通りかかった時の話ですね。ディオゲネスに向かってアレキサンダーが「なんでも欲しいものをやろう」と言います。ディオ、こたえて曰く「ちょっとどいてくれ。私に当たる日の光を遮らないでくれ」。その後ディオは太陽に灼かれ(以下、『ジョジョの奇妙な冒険』第三部参照)
そんな変人の名を冠するクラブは内気で人間嫌い・社交嫌いのロンドン一不快なクラブです。笑えるのは、
ホームズ「ワトスン君、ここでは話は厳禁だ」
お前らはなんで集まってんのかと。そうつぶやいた時点でたぶん出入り禁止になる感じです。こんな素敵な所には一生行きたくないな。
さて。
これまでこのレポートでは、「本筋と一切関わりのない推理」を抜粋するのが難しかったんで自粛してたんですけども、ディオゲネスクラブ内の個室でシャーロック&マイクロフトの推理合戦を見ることができ、ここは本筋とあまり関係ないんですね。推理自体に触れることが少なかったので書き留めておきたいと思います。
シャーロック・ホームズの「世界」は、論理と必然性で充満しています。必然性で構築されていると言っていい。必然性、つまり、原因があって結果があるという事実上の必然。また、結果があるのは原因があるからという論理的必然。たぶんこういう分け方をする人はあまりいないと思うけども、僕は一応分けて考えてます。ホームズの世界にはいずれの必然性にも満ちている。これがないと推理出来ないんでね、当たり前ですけど。(こういった「世界の構築」には、「科学」が完全に市民権を得た歴史的な事実と多いに関係があると思いますが、ここでは省略します。)
原因と結果の必然性、その「線」(=事実)は自明のものなんですが、たとえば「事件」が「ミステリ」と呼ばれるのは、その線がどこかで切れていて「点」もしくは「線分」になっているから。何がミステリなのかというと、それらがどう繋がるかがわからないからなんですよね。で、点と線と考えることもできるけど、さらに踏み込んでいくと、バラバラな「線分」であればあるほど、つなげづらいという意味でミステリ度が上がってく。
日常、僕らの前に提示されているのは猛烈に線分なわけです。しかも、それが手がかりであるという保証も無い、まるで雑多な手がかり。たとえば、ディオゲネスクラブの窓外で展開されている「買い物をしている男」。
片側だけ日焼けした顔、やや太めの体格、正式な喪服のスーツを着ているが足はブーツ。絵本とガラガラを買っているようだ。
この「提示されている線分」から、その男の職業、家族構成、行動の理由といった「線」を導きだすわけです。一連の推理には、大まかに言うと線分を集めるための<観察>が必要で、そして知識と論理を動員した<洞察>が求められる。重要なのは、推測ではない、ということでしょうね。推測はかなり主観的でして、世の中でこれ以上無い決定的な必然性、つまりその線の時間軸(不可逆性)さえ無視したものである場合が多い。回想なんてもってのほか。時間軸がごちゃごちゃになります。
推理は常に、過去の時点から現在に向かって行われる。<この観察された結果(現在)がどうやって行われてきたのか>という視点でつなぎ合わせながら再生していくわけです。
後半でホームズは列車に乗っていた乗客の1人を一瞥し、「踊り子だよ。ロマンスを求めて旅に出ているだけで、事件とは関係がない」と、あっさり容疑者から外します。これ、今回の見所ですからね!
一見神懸かり的な断定ですが、まず間違いなく推理が働いています。ワトスンや僕らは線分が繋がっていないので驚きますが、隠された必然性を見つけた探偵には断定出来るわけです。ちなみに、どうして「踊り子」が見所かと言いますと、ディオゲネスクラブで紹介されていた推理の力がここで発揮されているからです。これは僕の見る限り確実に意図的です。
その後、実行力がないからディオゲネスクラブにいる、なんて言われてたシャーロックの実兄マイクロフトも、ホームズ家の一面を見せてくれます。とぼけたジジイですが、科学の力で支配された一家です。
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